No.1『言語化するための小説思考』小川哲

小説家・小川哲が、小説を書く際にどのようなことを考え、どのように書いているのかを解説した新書。
どうすれば、読者に価値があると判断される小説を書くことができるのか、小説の面白さとは何なのかを追求し、論理的、明晰にひもといて見せてくれる。

小説を書いてみたいと思うきっかけになった1冊。

まえがきで「作品の価値を決めるのは他者である」(p5)と断言している通り、本書の大きなテーマは「他者の視点に立つ」ことで、そのためのさまざまな視点や方法を紹介している。

知らない世界のことを書く方法

どうすれば自分の経験以上のことを書けるのか。
小説を書いたことのない自分がもっともハードルを感じていたのがこのことだった。
小川さんは小説家が知らない世界を書く方法をシンプルに言語化してくれている。
それは、抽象化と個別化である。

人間は知らないことについて書くことはできない。想像できないことを想像することはできない。抽象化と個別化は、知らないことを書く上で、あるいは想像できそうもなかったことを想像していく上で、重要な鍵になる。まず、自分の目でしっかりと世界を見る。見えた世界を抽象化し、別の世界に置き換えて個別化する。


(同上、p37「3.知らない世界の話について堂々と語る方法」)

例として挙げているのがカミュの『ペスト』である。カミュは第二次世界大戦で経験した不条理を抽象化し、500年以上前に流行したペストに個別化して、この小説を書いたという。

小説家は、抽象化と個別化を通じて、知らない世界について書く。この抽象化と個別化がうまく働くと、『ペスト』や『一九八四年』や『カラマーゾフの兄弟』のように「普遍性」を獲得することができる。読者が「この小説は私について書かれている」と感じるとき、小説家はあなたのことを知っているわけではなくて、小説家自身のことしかわからない――わからないのだが、自分の体験を抽象化し、抽象化した構造を個別化する作業に成功しているのだ。

(同上、pp.38-39「3.知らない世界の話について堂々と語る方法」)

自分の思考のレベルに意識的になるということ自体が、私にとっては大きな気づきだった。
振り返ってみると、自分の場合、何かを伝えることを目的として表現された作品に対しては、無意識のうちに抽象化を行っていた。例えば自分の好む作品は、不条理な出来事に立ち向かったり向き合おうとする話だな、ぐらいの抽象化はしていたのだが、現実に起きる出来事と抽象的な思考は切り離されていて、自分の体験を意識的に抽象化したことはなかったように思う。考えてみれば、自分が不条理に向かう物語を好むのも、自身が経験してきた不条理を投影していたのかもしれない。

自分が直接体験した出来事だけでなく、見聞きした出来事も抽象化の対象になり得る。

テレビをつける。誰かが誰かを殺した事件が報道されている。芸能人が不倫をしていたり、最近オープンしたばかりの人気クレープ屋を取材していたりする。僕は、そういった知らない世界で起こった知らない出来事の中に小説を探している。クレープは卵と薄力粉でできているが、小説における卵と薄力粉はなんだろうか――そんなことを考えたり考えなかったりする。

(同上、p40「3.知らない世界の話について堂々と語る方法」)

小説家や何かを創作する人は、日常的に物事を抽象化して考える習慣が身についているのだろう。私にはこれまで、抽象と具体を意識的に行き来する思考の回路がなかったので、あらゆることは抽象化して考えることができると思っておくだけで、世界の見え方が変わりそうだ。
自分の身に起きたことや見聞きした出来事を抽象化して、構造的にとらえるくせをつけることが、小説の世界が広がりそう。

一方で小川さんは「何が普遍的で、何を普逼化してはいけないか。その点に注意しながら、僕たちは知らない世界について書く。」(同上、pp.39-40)とも書いている。この見極めの塩梅は難しそうで、実際に書いてみながら探っていくことになりそうだ。

なぜ小説なのか――探究の手段

さまざまな表現手段がある中でなぜ小説を書きたいのか。
本書を読んで、自分には主に二つの目的があることを発見できた。
一つ目が探究、二つ目がコミュニケーションである。

まず一つ目の探究の手段としての小説についてである。
アイデアを考えるときに、どうすれば一人の人間の脳内の限界を超えられるのかという、これもまた自分の長年の悩みであった問題に対して、小川さんは二つの考え方を教えてくれる。
それは、まず最初に主張や設定ではなく「問い」から発想すること。次に、執筆の過程で生まれる偶然を拾い上げることである。

自分が小説という手段を通じて「書いてみたいこと」や「考えてみたいこと」は何なのかを考える。言い換えれば、大事なのは「答え」ではなく「問い」だ。それ自体は陳腐で構わない。その時点で自信がなくてもいいと思う。小説の面白さは、執筆の過程でかならず生まれてくる。創作をする上で気をつけなければならないのは、過程で生まれてきたディテールに宿る「面白さ」の種を逃さないことだ。

(同上、p93「8.なぜ僕の友人は小説が書けないのか」)


小川さんは他の章で、修士論文を書いた経験を活かして小説を書いたとも述べている。
問いを立てることは探究の基本である。
小説を書くという行為は、答えのない問いを思考し、探究する手段の一つなのだという発見があった。

もう一つ大事なことが、執筆の過程で生まれる「面白さ」の種、偶然を拾いあげることだ。
具体例として小川さんは「七十人の翻訳者たち」という短編を書いた時のことを取り上げ、どのような着想から物語が生まれたのかを紹介している。素朴な疑問や感想から始まり、書いていく過程で知識と知識が結び付いてアイデアが生まれ、書いたことで新たな問いが数多く生まれるという。

小説のアイデアに必要なのは、いわゆる発想力などではなく、偶然目の前に転がってきたアイデアをしっかりと摘みあげる能力なのではないか、と僕は考えている。一人の人間が机の上で考えることには限界があるけれど、執筆の過程にはさまざまな偶然が待ち受けていて、その偶然をきちんと拾いあげれば「一人の人問の脳内」という限界を超えることができる。

(同上、p96「8.なぜ僕の友人は小説が書けないのか」)

問いを立て、執筆の過程でアイデアを発見していく。

疑問に思ったことを突き詰めて探究したいという欲求は、思えば子どもの頃からあったが、自分でやろうとすると、いつも中途半端に終わった。
修士の時に編集の仕事に就こうと考えた理由の一つは、それが自分なりに探究を続ける手段になると思ったからであった。

当時は、一人で考えたり伝えたりすることには限界があるという意識が強かった。
自分の知らない世界のことをもっと知りたい。けれど、自分で書いていたら限られたことしか知ることができない。
編集は自分で書くのではなく他人に書いてもらう、または他人の知見を伝える仕事だ。
編集者になれば様々な分野の専門知に触れることができる。当時はそう考えていた。

それは実際そうだったのだけれど、自分が今やっている編集の仕事は、1つのテーマを深める書籍編集と違って扱う内容は広く浅くだ。伝えられる紙面も限られていて、掘り下げきれない物足りなさを感じている。
今は、あるテーマや対象についてじっくり深く考えていくやり方で世界を理解したいという思いが強い。
書く過程で自分一人の脳内の限界を超えることができるなら、小説は世界を知り、理解するための魅力的な手段に思える。

なぜ小説なのか――コミュニケーションの手段

最後の章で小川さんは、小説とは何かという本質に迫る。

まず、文学とは「人間の認知を言語に圧縮したものである」と定義して、人が芸術に感動するときに起きていることを明快に言語化する。
作品を読むとき人は、言語に圧縮された作品を解凍し、作り手の認知、そしてその先に広がっている世界を受け取っているのである。

文学に限らず、あらゆる表現活動は人間の認知を何らかの形で圧縮したものだと小川さんも書いている通り、子どもの頃、小説に限らず、漫画やゲームや音楽作品に触れたとき、「この作品の世界観が好きだ」とよく思った。当時はそのくらいの解像度でしか認識できていなかったけれど、それはそれらの作品の後ろにある、作り手の世界のとらえ方に惹かれていたということだったのだろう。

人間の複雑で豊かな認知をどうやって文章に圧縮するかには、それぞれの作者にしかできないやり方が存在している。だから、「小説には正解がない」という。

それぞれの作者が自分の言葉を、自分のやり方を探求していく過程にしか小説は存在しないと思っているからだ。

(同上、p145「12.本気で小説を探しているか?」)

そして「自分の言葉」と「自分のやり方」を見つけるための手がかりは、小説がコミュニケーションの手段であることにある、とする。

情報の圧縮に言語という手段を用いるという点で、以前にも述べたように「文章を書くこと」と「誰かに向かって話をすること」は似ている。あらゆる認知の中から「伝えたい内容」を見つけ、どの情報をどういう順番で配置するか、どういう言葉を選ぶかを考える。相手は何を知っていて何を知らないか、何に興味があって何に興味がないかを考える。そうして、自分の認知を「話」という形式に落としこんでいく

(同上、p146「12.本気で小説を探しているか?」)

小川さんは、文章を書くことと話をすることは似ていると言うのだけれど、私はむしろここで、書くことと話すことの違いが、自分が小説を書きたい理由の一つなのだと気がついた。

別の章で小川さんは雑談が苦手という話をしている。私も雑談が苦手だ。

僕が雑談を苦手としているのはなぜだろうか。僕は他者とのコミュニケーションに何を期待しているのか。僕だけでなく、人類はコミュニケーションに何を期待しているのか。小説は作者と読者のコミュニケーションでもある。

(同上、p132「11.小説の見つけ方」)

「コミュニケーションとは何か」は、私にとっても大きな問題だったのだと、この部分を読んで気がついた。

私はなぜ雑談が苦手なのだろうか。
雑談だけでなく、会話全般が苦手なのはなぜだろうか。
おそらく一つには、考えるのが遅いということがある。
自分の感じたことをその場ですぐに言葉にすることができないのである。
「思うこと」はいつも遅れて浮かんでくる。
周りの人達が当意即妙な会話をそつなくこなしているのを見ていると、おそらく自分は人よりも思考するのに時間がかかるのだと思う。
会話のスピードでは、自分の納得いくところまで言語化ができない。
でもずっと黙っていると一緒にいる人が戸惑ってしまうから、場当たり的にとりあえず浮かんできたことを言葉にする。
それは後から整理されてまとまってきた思考とはずれていて、いつも不完全燃焼感が残るのである。

私はコミュニケーションに何を期待しているのだろうか。
私は相手のことを深く理解したいし、相手には自分のことを深く理解して欲しいのだと思う。
しかし、上記のような自分の対面コミュニケーション能力では、ほとんどの人と、当たり障りのない表層的な内容で会話が終わってしまい、深い理解に辿り着くことができない。
「相手は何を知っていて何を知らないか、何に興味があって何に興味がないか」を考えて言葉を選ぶことが、会話のスピード感では上手にできない。
話し過ぎてしまったり、余計なことを言ってしまったと思って、いつも後で後悔することになる。

会話よりも、作文や手紙など、文章によるコミュニケーションの方が、「伝わった」「分かり合えた」と思えた経験が多かった。
伝えたい内容と順番を吟味できる文章を通してであれば、自分の気持ちや考えを会話よりも精確に伝えることができたし、相手の気持ちを理解することもできた。
時間をかけてじっくり考えられる文章を通してなら、もっと色んな人と深いコミュニケーションをとるできるのではないか。
だから私は、コミュニケーションの手段としても、小説を書いてみたいと思った。

話を戻すと、「自分の言葉」と「自分のやり方」を見つける具体的な方法は、他人とコミュニケーションをとるときの留意点を意識して書くことにある。

作品を届けたい相手に対して、「過不足なく伝わるように(なるべく正確に)」、「無駄な時間を取らせないように(なるべく端的に)」、そして可能であれば「相手が自分に対して一切興味がないという前提で(なるべく相手のことを考えて)」、自分の話をする

(同上、p147「12.本気で小説を探しているか?」)

大事なのはどうやって自分の脳内に存在するものを他者に伝えるか、どうして小説という形式を選んだのか、という点を常に意識することだ。

(同上、p154「12.本気で小説を探しているか?」)

一つ一つの文章と表現が、何のために存在しているのか、誰のために存在しているのかを自問自答する。(僕が生まれて初めて小説を書き上げたあと、最初にやった推敲は「自分のために存在している文章」をすべて削除することだった)。

(同上、p154「12.本気で小説を探しているか?」)

正確に、端的に、相手が自分に対して一切興味がないという前提で。
「自分のために存在している文章」をなくすというのは、先日参加したトークイベントで俳人の小津夜景さんも同じようなことをおっしゃっていた。
読ませる文章を書ける人というのは、やはり徹底的に読者のためを考えて伝え方を練り上げているんだなと思う。

このブログは半分くらい自分の考えを整理するために書いているから、今はあまり他者を意識しないで書いているけれど、たくさん読んで書いて思考を重ねていくうちに、徐々に自分から離れて書けるようになれたらいいなと思っているし、小説を書いてみるときにはこれらのことを常に念頭に置いておきたい。

本書ではそのほかにも、自分の「小説法」と読者の「小説法」をすり合わせること、小説を将棋になぞらえて、勝利条件を満たすために最適な文章を選ぶ思考過程、小説を構成する要素で最も重要なものなど、小説を書く上で参考になるヒントがたくさん書かれている。それはきっと小説に限らず、誰かに何かを伝える必要があるときのヒントになるだろう。

物を書いて暮らす

ここまで、『言語化するための小説思考』を読んで、探究とコミュニケーションの手段として小説を書いてみたいと思ったことを書いてきた。
そのもっと手前で本書をしっかり読んでみようと思ったきっかけは、まえがきに書かれていた、小川さんが小説家になった理由だった。

単に本が好きで、満員電車や無能な上司や理不尽なルールやノリの合わない同期みたいなものが嫌いで、つまり会社に就職せず、極力他者と関わらずに、自分だけの責任で仕事がしたいという一心で小説家になった(…)

(同上、p4「まえがき」)

この部分を読んで、私も極力他者と関わりたくないんだなと気が付いたのだった。
今の会社の仕事は楽しいし、やりがいもある。
上司や同僚も人間ができている人ばかりでよくしてもらっている。
それでも耐え難いと感じるのは自分の適性の問題なのだと思う。
他人と直接対面で関わるとどっと疲れて消耗してしまうのである。
おそらく十代のうちに積み重ねておくべき対人経験が不足しているがゆえに、対面でのコミュニケーションのハードルが非常に高くなってしまっているのだと思う。
分からないなりにどうにか愛想良く、感じよく振る舞おうと気を遣いすぎて消耗する。
他人の反応に敏感で、ちょっとした反応で不安になったり不快になったりしてしまう。

本書を手に取った時期は、プライベートの人間関係でも、信じた相手に不誠実な対応をされて手ひどく傷つけられ、心身共にボロボロの状態にあった。かなしくて不安でろくに眠れず、毎日泣いて過ごしていた。
これ以上無用に傷つきたくない。
これまで一人でいる時間が長すぎたのだと思う。
他人に振り回されるのはもうたくさんだった。

一人で黙々と、じっくりと取り組める仕事がしたい。
満員電車に乗りたくない。
自分が参加している意義の低い長時間の会議で自分の人生の時間を空費したくない。
自分だけの責任で仕事をする自由が欲しい。
会社から脱出し、必要以上に他者と関わらずに済む生活をめざしたい。

人に残された最後の職業

子どもの頃の夢は小説家だった。

小学校3年生のとき、国語で物語を書く授業があった。
教科書に宝島の地図が描いてあって、男の子と女の子が、その島で宝物を手に入れるまでのことを想像して物語を書く。
『エルマーのぼうけん』の構成をまねて夢中で書いて、27ページくらいの長編を書き上げた。でも小説を書き上げることができたのはそれっきり。
書き出しだけは何度か書いてみたが、飽き性で書き上げることができなかった。

たしか 10代の始めの頃に読んだ『13歳のハローワーク』の作家の項目に、「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」と書いてあった。

▼「作家」の職業解説【13歳のハローワーク】
https://www.13hw.com/jobcontent/02_03_01.html

私はそれを読んで「たしかにな」と納得し、作家になることは一旦後回しにすることにした。
興味は次々と移り変わり、やりたいことはどんどん変わった。

大学院に進学したが、専門分野とは直接関わりのない書籍編集の仕事を志望する。
新卒では叶わず、小さな広告代理店に入社。
それから2年間転職活動を続けて、ついに念願の出版社で働けることになった。
だが蓋を開けてみれば、配属されたのは志望とはかけ離れた部署で、結局本づくりには関わることができていない。

そこでようやく、会社でやりたいことをやるという考えがそもそも誤っていたのだと気づいた。
自分がやりたいことは自分でやるしかない。
物を書いて暮らしていきたい。

そう思うようになってから半年ほど経った頃に、この小川さんの新書を読んで、子どもの頃ぶりに、「小説を書いてみよう」と考えるようになった。

『ハローワーク』の作家の項目の最後にはこう書いてあった。

「伝える必要と価値のある情報を持っていて、もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい。」

伝える必要と価値のある情報を自分が持っているかは分からないが、残された生き方は作家しかないという気分ではある。
私は他人に何を伝えられるのか、これから考えていきたい。

基礎力をつける

小川さんの名前は4年前に「作家の読書道」で知った。
小川さんは学生時代に文転したタイミングで、体系的に文系の知識をつけるために岩波文庫を1日1冊読むと決めて、緑(国内文学)、赤(海外文学)、青(哲学・宗教など)の順で1冊ずつ読んでいった。
このエピソードを読んで、徹底した人だなと印象に残っていたのだ。

▼作家の読書道 小川哲さんの読んできた本たち SFには論理と理性に対する信頼感がある
https://book.asahi.com/article/14712927

面白い小説を書けるようになるには、古典を読むこと、量を読むことがやはり大事なんだと思う。
私は読んできたものが偏っていて知識が偏っているので、まずはもっとたくさん本を読んで基礎力をつける。
このブログはその一環として書いていく。

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